28年間、建築士として会社勤めをしていた環境が一変。転職後は住宅に関するセミナーを開催するため全国を飛び回っている。人生の価値観を大きく変えたきっかけは、東日本大震災。エネルギー問題を抱える日本を憂い、自らが専門とする住宅の分野で“省エネ”ができないだろうか、と――。そんな使命感を抱き、人々に、そして社会にメッセージを発信している。

中学時代の先生の勧めで建築士に

お仕事について教えて頂けますか。

株式会社M’s構造設計という構造設計事務所に勤めています。事業内容としては、事務所代表の佐藤実を筆頭に“構造塾”というセミナーを開催し、全国の工務店や設計事務所を対象に木造戸建て住宅の構造や耐震性の向上をテーマにお伝えすることがメインでして。昨年の定期講座の会場は全国28か所、ほとんどが佐藤によるものですが年間200以上のセミナーや講演を開催しました。

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堤さんの役割とは?

住宅ビルダーで28年、建築士として勤務した経験を生かし、構造塾で講演をすること、そして僕自身のテーマである省エネについてお話しする“省エネ塾”の主宰者としてセミナーすることです。そのために、今の会社に引っ張られたというのが入社の経緯です。

今に至った経緯をお聞きしたいのですが、そもそもなぜ建築士になろうと?

きっかけは中学時代の先生のひと言でした。高校生になり、久々に母校の中学を訪れた際、先生が「君はドローイング(線で絵を描くこと)が上手だから建築なんかどうだ」と言われたんです。それで、なんとなく「建築に進むのもいいな」と。

一般的には大学で建築を学ぶには工学部に入らないといけませんから、当然、理系の勉強をしなければいけませんが、僕は本質的には文系人間で、ここだけの話、中学の時に数学0点をとったこともあるぐらい、壊滅的に数学に弱くて。

勉強は大変だったでしょうね。

浪人して工学部の建築学科に入りましたが、文系だったら浪人もせずに楽できたんじゃないかと(笑)。でも、絵を描くことや、何もないところから形にしていくのは好きでしたから、先生の何気ない言葉に乗せられてここまできたといった感じですね。

大学で建築を学び、そのまま建築の世界へ。

新卒で関西商圏の住宅ビルダーに入社し、新築住宅の設計をしていました。なぜ住宅の分野に進んだのかというと、たとえばゼネコンの場合は自分が関われるのは一部ですが、住宅なら自分がすべてに目を通せる、自分で意志決定ができると思ったからです。

どんなことが印象に残っていますか?

今はブラック、ホワイト、働き方改革などと言われていますが、昔は飲料のCMで「24時間働けますか」といっていたような時代でもあり、朝晩関係なく働いていました。3日連続して会社に泊まったこともありましたね。

僕の性格的に、お客様からの難しい要望に対して、納得いくまで突き詰めてデザインをするタイプなので、その働き方は性に合っていたと思います。

どんなところに仕事の面白みを感じていましたか?

真っ白い紙にフリーハンドで線を引いて図面を描き、それが100倍の大きさになって実際に家が出来上がる。そのプロセスに関われることが面白かったですね。今はCADというツールのソフトを使ってパソコンで描きますけど、当時はシャーペン1本でトレーシングペーパーに描いていたんですよ。

なによりも、リアルなものが完成してお客様が喜んでくれることに関して、私も喜びを感じました。一生で一番高い買い物といわれる住宅ですから、それを扱っているという責任感も大きかったです。

やりがいのあるお仕事ですね。

そうですね。でも当時は、省エネや断熱性といった家の性能、構造にまで意識が向いていませんでした。

阪神淡路大震災の際は西宮市、三田市などをはじめとした神戸方面の建築地に被害調査に行き、自分たちが手掛けた2×4(ツーバイフォー)工法という木造住宅の耐震性の高さを目の当たりにしましたが、本格的に、住宅の性能そのものに興味を持ち始めたのは東日本大震災がきっかけです。

どういった思いだったのでしょう?

東日本大震災でエネルギー問題、原発の問題が発生して初めて、知らない間に全国で54基も原発があったんだと、自分の無知を知りました。海外では水力発電や風力発電も活用されているのに、日本は石油、石炭、天然ガスと輸入しているものがほとんどで自給ができていません。そういったことを知れば知るほど危機感が募り、では、僕ができることは何だろう?と。

そう考えた時に、住宅で無駄なエネルギーロスを減らすことができるのではないかと思い立ち、色んなセミナーに参加したり、本を読み漁るようになりました。

 それが転職のきっかけですか?

いえ、当時の会社が不景気のあおりを受けて、新築に関わる社員は全員、会社にいられないことになったことが転職のきっかけです。

契約の残っている4棟を引き渡しできるまでの約半年、数名のみ(設計は僕だけ)、引き続きその会社に在籍して仕事をしていました。その間、エネルギー管理士を受験したりもしましたが、そもそもは震災以来、省エネに関するセミナーや交流会に積極的に参加していましたので、社外の知り合いが増えていました。さらに、様々な情報を発信していたFacebookを通して多様なつながりができる中で、今の会社の社長との出会いがありました。

どんな出会いだったのですか?

社長のセミナーに1度だけ参加して以降、Facebookでつながってはいたのですが、ある日、メッセンジャーで連絡が来て食事をすることになって。「今度、省エネ塾をやりたいから、うちに来てくれないか」と誘いを受けました。

転職活動をせずとも、良いお話が舞い込んできたのですね。

Facebookでエネルギーや省エネに関して色々発信したり、社外で省エネセミナーを企画したりしていたので、自分では意識していませんでしたが、それがブランディングになっていたのかもしれません。

なるほど。今の会社に入社を決意したのは、どういった気持ちで?

社長は日本中の木造住宅を地震で倒壊させない」という大義のために構造の分野をテーマにし、僕は省エネの分野で住宅を通じて日本のエネルギー環境をより良くするといった志を抱いているので、そういったところで共通するものがありました。

それに、前の会社でやっていたことと同じことをやるのではなく、自分の経験や知識、想いを世間に広める活動を通じて、なるべく社会的インパクトを大きくしたいと思っていたので、社長と二回食事をしただけで入社を決意。2018年11月に入社しました。

入社後の2019年1月には、2016年に甚大な被害を生んだ熊本地震の激震地、熊本県の益城町に行きましたが、地震前とまったく変わってしまった街の景色を肌で感じ、省エネ性能だけではなく、耐震性の向上(耐震等級3にすること)も重要であり、住宅として最低限確保すべき性能の両輪であるということが、改めて実感できました。

 

とにかく、やる。そのためには考えないことも必要

現在の仕事内容について具体的に教えて下さい。

入社後はセミナーをするために九州から北海道、東北に日帰りするなど、移動、移動の毎日です。以前の会社に定時出社、机に向かって終日図面を書く生活が一変し、今は数十人から多い時で100人単位の人に向けて講演をしたりしていますから、生活が180度激変しましたね。

この4月からは、元々新規講座として予定していたオンライン講座に軸足をシフトするべく、急ピッチで準備を進めています。

あとは工務店向けサイトで「省エネのキホン」という連載をしたり、さらなる活動の為に社団法人を立ち上げたり、といろいろです。

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省エネ塾に対する、皆さんの反応は?

最初(2018年12月以降)に東京、大阪、長野の3か所で無料の体験セミナーを開催したところ、初年度から会員になって下さった方がいて、その会員様向けに年間定期講座をしています。

セミナーで伝えていることとは?

家の断熱性を高くすることが省エネにつながるということだけではなく、高効率な設備・配管の導入やパッシブ設計、例えば、冬場にいかに日射を取り入れ、夏場にいかに日射をカットするかで、消費エネルギーが大きく変わることなど、総合的な内容です。加えて、実はそれらは「当たり前」として備えたい「土台」であり、それをベースとした「豊かな暮らし」を実現するための広い意味でのデザイン、設計が非常に大事だということを、自分なりの伝え方でお話しています。

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仕事をやる上でモットーにしていることは?

「とりあえず、やる」ことですね。行って下さい、やって下さいという要望に対して、行けません、できませんとは決して言いません。そのためには(悩んだりしないという意味で)「いかに考えないか」ということも大事で、「とにかくやってみる」ことを自分に課しています。

それと、前職の時にお客さんが喜んでくれることがやりがいだったように、今も変わらず、家族が末長く幸せに暮らせる家作りを提案する。そのための省エネであり構造であると考えています。

では、どういった経緯でリンクスを利用し始めたのでしょう?

本社は新横浜にありますが、僕は家族も持ち家も大阪ですから、大阪在住は変えませんと最初から社長に話していました。そこで、オフィスとして利用できるスペースを探したところ、僕以外の大阪在住の社員がリンクスを候補に挙げたんです。それが、リンクスとの出合いです。

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コワーキングスペースにしたのはなぜでしょう?

出張が多いのでオフィスを設けるのは無駄が多いですし、かといって、在宅でリモートワークではなく、ちゃんと仕事ができる空間が欲しくて。リンクスは費用面、駅近の場所や雰囲気が良く、ミーティングルームがあるので小規模なセミナーもできます。なによりも、いろいろな種類のコーヒーがタダで飲めるのも良いですね。

しかも見学に来た際、BGMでボサノバが流れていて。僕はブラジル音楽が好きなので「ここにしよう!」と。ノリが軽いですよね(笑)。

リンクスを利用して良かったと思う点は?

2018年11月から本格使用を始めたんですけど、年末に交流会があって、そこで色んな利用者の方とお会いする機会がありました。一度、名刺交換をすれば次に会う時は顔なじみのような、そんな雰囲気が心地いいですし、コミュニケーターのラムさんと立ち話をしていたら、通りがかった人を紹介してくれたり。僕の仕事のジャンルに興味を持っている方につなげてもらったこともあるんですよ。他のコミュニケーターの皆さんもいつも感じよく応対いただけるので、快適に過ごせます。

色んな人とつながれることがリンクスの魅力だと。

そうですね。特に異業種の方、例えばアパレル会社の方から海外事業のお話を聞くことなんかも刺激的ですし、一方で僕の話を皆さんに聞いて頂ける機会もあるので、全国でのセミナーの前段階としてリンクスがあり、僕の伝えたいことを発信できているのではないかと。

あなたにとってのLINKSとは?

初めて出会った人同士でも自然に知識を交換することで、お互いを高められる雰囲気に溢れているのがリンクスという場所なのではないかと思います。

PROFILE
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株式会社M's構造設計
堤 太郎(つつみ たろう)
28年間、建築士として会社勤めをしていた環境が一変。転職後は住宅に関するセミナーを開催するため全国を飛び回っている。人生の価値観を大きく変えたきっかけは、東日本大震災。エネルギー問題を抱える日本を憂い、自らが専門とする住宅の分野で“省エネ”ができないだろうか、と――。そんな使命感を抱き、人々に、そして社会にメッセージを発信している。
基本情報
役職:「省エネ塾」主催、「構造塾」講師他
出生年:1966年
血液型:B型
出身地:奈良県奈良市
出身高校:大阪府立牧野高校
出身大学:摂南大学 工学部(当時) 建築学科
所属団体、肩書き等
  • 一般社団法人 みんなの住宅研究所 代表理事
座右の銘
  • 継続は力なり
プライベート
ニックネーム:太郎、太郎さん、太郎ちゃん
趣味:ギター
特技:グワシ
尊敬する人:R.P.ファインマン、両親
年間読書数:50~60冊
心に残った本:データの見えざる手(矢野和男 著)、堀口大學氏が訳した一連の詩集、など
心に残った映画:ブルース・ブラザース、地獄の黙示録
好きなマンガ:鎌倉ものがたり(西岸良平)、BECK(ハロルド作石)
好きなスポーツ:繁華街のハシゴ歩き
好きな食べ物:ギネスの生
嫌いな食べ物:奈良漬、ラッキョウ
行きつけのお店:北浜なら「PYXIS」
訪れた国:ドイツ、フィジー
大切な習慣:起き抜けの運動
口癖は?:アホンダラ
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