大学時代は男声合唱団に所属し、日本全国のみならず欧州演奏旅行を経験。最後の公演で幕が下りる際、「これで人生が終わった」と思えるほどの寂しさがこみ上げ、それが起業への原動力になっている。57歳で起業。若い音楽家に当時の自分を重ね合わせ、彼らの夢を未来につなぐべく奮闘している。

いつか自分のホールを持って、才能のある音楽家を育てたい

田中さんのお仕事について教えて頂けますか。

大学を卒業して34年、ずっと会社勤め、いわゆる組織の一員として働いていたのですが、あと数年で定年という2018年6月1日、57歳で独立、株式会社スマートシンフォニーを立ち上げました。仕事は、クラシック音楽を中心とした音楽イベントのプロデュースをしています。

特に力を入れているのが若手音楽家の皆様のサポートです。音楽大学から毎年新人の音楽家が輩出されますが、世の中には若い音楽家の活躍機会が少ないので、彼らと話をしてコンサートを一緒に創り上げたり、集客方法についてアドバイスをしています。時には人生相談も(笑)

いつから音楽に携わっているのですか?

大学4年間男声合唱団に所属して100回以上舞台に立ち、日本全国を回ったり、1ケ月にわたる欧州演奏旅行をしました。4年生の最後の公演はフェスティバルホール(大阪)で開催されたのですけど、2000人のお客様の前で歌って、幕が下りる瞬間、「これで人生が終わった」という寂しい気持ちと、「明日からは社会の一員として現実の世界で生きていくんだ」という思いが交錯しましたね。「音楽で食べていきたい!」と、そう思ったんですけど、保守的な家庭で両親は「音楽なんて遊びだろう」という反応でしたし、当時、音楽関係の就職というのは限られていましたから、卒業後は神戸市内の家電量販店に就職しました。

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▲大学の男声合唱団時代

でも、その最終公演での気持ちが原動力となって、家電量販店に勤めている間に自らアピールをしてCD販売部門でプロモーションの仕事をしたり“音楽寄りの道”を歩んできました。その後、転職をし、オーディオメーカーのオンキヨー株式会社へ。そして次に、日本センチュリー交響楽団の事務局長に就任するといった具合に、チャンスがあれば音楽に携わってきました。

転職は、それぞれどういったタイミングで?

最初の転職は、阪神淡路大震災後、勤めていた企業の経営が厳しくなったので希望退職しました。当時37歳。実は以前から、大学卒業までの22年間の価値観で就職して、その後の人生が決まってしまうことに疑問を抱いていましたから、20代後半の頃から転職サイトに登録をしていたのです。この機をチャンスと捉えて、転職の意志を伝えてオーディオメーカーを紹介してもらいました。

オーディオメーカーは、ソフトとハードでいうと「ハードの世界」なのですが、その頃、音楽の聴き方が大きく変わろうとしていました。CDをオーディオ装置で聴くのではなく、パソコンで聴いたり、ポータブルプレイヤーで聴いたりと、再生機器側も変化する時代の対応を迫られていました。「これからはソフト(音楽コンテンツ事業)もやる」という経営者の方針のもと、「高音質の音楽をデジタルで配信して機器と一緒に販売するというのはどうでしょう」と提案したら、私が任されることになりました。

デジタル配信が当たり前ではない時代。どのように道を開拓したのですか?

当時、音楽配信ビジネスはレコード会社主導でスタートしていましたから、オーディオメーカーが始めるというのは異例だったと思いますね。レコード会社を一件一件訪問してアドバイスを求めましたが、門前払いがほとんどでした。「メーカーが音楽配信をやってどうするんだ」と。その中でも、「スタジオで録音しているクオリティと同じものをお客様に届けるのはいいことだ」と主旨を理解してして下さった方がいて、知識やノウハウを共有して下さいました。

最初はわずか11曲を販売し、大きい声では言えない売上が続きましたが、10年後には10万曲に。赤字が続いた時は、経営トップに「決して卑屈にならなくていい。今日は黒字じゃなくても、明日明後日のことを考えることは大事だ」と励まされ、その後、世の中が変わってきたこともあり、少しずつうまくいき始めたと思います。いまでも感謝の気持ちで一杯です。

10年がかりで新事業が軌道に。これからという時に転職されていますね。

東京で10年単身赴任をやって、しんどかったんです(笑)家族は大阪にいましたし、もう大阪帰りたかったというのが1つ。

それと、そのオーディオメーカーの社長が日本センチュリー交響楽団の理事に就任するにあたり、大阪で手伝って欲しいと声をかけて下さって。前々からオーケストラの仕事には興味がありましたので、二つ返事で。新しい職場でお世話になることになりました。

54歳で二度目の転職。

そこで務めた3年間で、クラシック界の問題点が見えてきたことが今の起業に結びついています。業界全体的に厳しい状況で、クラシック音楽は敷居が高く、お客様が高齢化する一方で新しいお客様を呼び込めない。先ほどお話した、若手音楽家の受け皿が少ないという問題。そこで組織を飛び出して何かできることをした方が、結果として業界に貢献できるのではないかと。

57歳で独立するのは勇気が要るのでは。

昨今、サラリーマンは60歳で定年した後も会社に残る人が多いですが、収入は、おそらく減少していくでしょう。それなら、大学4年の最後の公演で感じた、幕が下がる瞬間の寂しさをここで晴らそうと。

聖句に「求めよさらば与えられん」という言葉がありますが、今までもそれを実践してきたし、またその時がやって来たのだなと思いました。

周りから、「よくその歳で」とか、「無謀にも」とか言われましたが気にすることはなく、これからの人生も長いですから「100歳まで生きるとして、今後40年、自分のやりたいことをやってやる!」と、そんなつもりでいるんですよ。

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▲今でも時々ピアノ生演奏をバックに歌っている

素敵な考え方ですね。

私にとって起業は、清水の舞台から飛び降りるという感じではなく、機が熟したという感じでしょうか。文句を言いながら組織にぶら下がるぐらいなら、独立して起業したほうが豊かな人生が送れると思います。

今後やってみたいことは? 

夢は、自分のホールを持つことです。100人くらいの小さな規模でもいいので、才能があると見込んだ演奏家に演奏してもらったり、演奏家同士をコラボさせたり。そこで生まれる感動をみんなで共有したい。

今は使用料を払ってホールを借りていますから、「チケット代いくらで何人集めないとペイできないな」とそろばん勘定をすると、才能はあっても「まだ集客が厳しいなぁ」という音楽家がいらっしゃるので、自分のホールを持てば若く有望な音楽家もサポートできる。5年後には、叶えていたい夢ですね。

 

リンクスには「ただいま」と言って帰ってこられそうな雰囲気が充満している

昨今のコロナ禍で、音楽家のサポートはどのようになさっているのですか?

3、4、5月は全てのイベントやコンサートが中止になり、私自身がコーディネート契約していたクライアント様も一時的に契約凍結になりました。全くゼロになってしまって、どうしようかという状態ですけど、オンラインで新しい音楽家と知り合ったり、以前からご縁のある人に「コロナの状況が落ち着いたらコンサートをしよう」と励ましのメールをしたり。オンラインで出来うる限りのことを実践していました。

オンラインで演奏などは?

僕が立ち上げたYouTubeチャンネル(こうちゃんの音楽会)に音楽家の演奏をアップしています。14人分の演奏をつなぎ合わせた時は大変でしたが、やりがいがありました。

ご自身でYouTubeチャンネルと立ち上げている方は動画編集のお手伝いをしたり、初対面の奏者をお引き合わせして、オンラインでセッションをしてYouTubeにアップしたりなど、stayhomeだから実現できたこと、勉強できたことがたくさんあります。

その勉強が奏功したのか、最近は動画作成や編集のお仕事が舞い込んでくるようになりました。豊中市にある音楽サロンとのコラボは、大阪府のライブ配信助成事業に採択され、現在収録と編集をしています。先日第1弾を公開配信を始めました。この動画は、中国・モンゴルの民族楽器「揚琴(ようきん)」の演奏です。

新たな可能性を生んでいますね。

実はオンラインでの反応はマーケティングになっていて、いずれコンサートを組み立てるときの参考になるのです。

今はwithコロナのコンサートの在り方について試行錯誤しながら進めています。

いつも音楽家の方とお話をしているのは中長期的なビジョンや夢です。「中長期的な夢のために今なにをする」「来年何をする」など具体的なアイデアもはさみながら一緒に組み立てていくのです。

「いつやろう」と、夢に日付を入れると明確な目標になりますから、そうすることでみなさんのモチベーションを引き出すようにしています。

かっこいい言葉で言えば「夢の実現のお手伝い」ですが、私もその方の音楽人生に対する責任を背負うわけですから、身の引き締まる思いと誇りを持つことができます。

私自身は心がけていることとして常に音楽家の方々に対してリスペクトの念を持って接するようにしています。そこに信頼関係は生まれてくるかと思います。

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▲多くの音楽家のコンサートのサポートをしている。チラシは田中さん手作り。

では、リンクスについてお聞きしたいのですが。リンクスとの出合いはいつでしょう?

起業をしたタイミングでコワーキングスペースが大阪に色々でき始めて、リンクスともう一か所ドロップインで行ってみたのですが、リンクスのスタッフの接客に惹かれて、こちらに決めました。

コワーキングスペースによっては内輪で盛り上がっている雰囲気のところもありますが、こちらはビジターで来ても疎外感を感じなくて。取引先が梅田と心斎橋にあり、中間地点であるリンクスから歩いていけるというのも決め手になりました。

周りの環境も良く、ふらっと散歩に出て、中之島の中央公会堂に行くこともあるんですよ。ただボーっとしていたら心が洗われます。

何かリンクスに望むことはありますか?

「こんな人を探してます」という求人を掲示板かウェブ上でやってもらえるといいですね。

例えば公演のチラシを自分で作っているのですが、私はイラストレーターが苦手なのでのでワードを使っているんです(笑)でも写真を切り抜いたり、フォントを選んだりが難しくて。だから、チラシデザインをお手伝いしてくれる方とマッチングができたり。

それに、コワーキングスペースに集まる起業家の中で経理面を担ってくれる人を探している人は多いと思うし、それぞれビジネスを進める上での弱点を補い合うという感じですね。とはいえ予算が限られているから、気楽に「この予算でやって欲しい」と探して、リンクス内で打ち合わせができるような。そういうクラウドワークスのリンクス版のようなシステムがあるといいのではないでしょうか。

田中さんも他の利用者様の力になることができそうですね。

そうですね、一見音楽と関係ないような業種の方だとしとしても、例えばクライアント企業様が100周年迎えるなど、だとすると「記念式典の歌を作りましょう」とか「演奏家を派遣しましょう」とか、そういったところで協力できると思います。あと飲食に携わっておられる方ならイベントの企画も請け負いますよ。

ご意見ありがとうございます。ぜひ今後の参考にさせて頂きます!最後に、田中さんにとってリンクスとは?

リンクスの魅力は、ファミリーな雰囲気が充満していて、スタッフさんに「ただいま」と言って帰って来れそうな空気感だと思います。利用者にしても、お名前は存じ上げないけれど「今日もあの人あそこにいてはるわ」と、それぞれの人がそう思い合っている。

スターバックスのコンセプトは“サードプレイス”で自宅と仕事場以外のもう1つの心地よい場所なんだそうですが、リンクスは私にとってそういう場所です。

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ありがとうございました!

PROFILE
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株式会社スマートシンフォニー
田中 幸成(たなか こうせい)
大学時代は男声合唱団に所属し、日本全国のみならず欧州演奏旅行を経験。最後の公演で幕が下りる際、「これで人生が終わった」と思えるほどの寂しさがこみ上げ、それが起業への原動力になっている。57歳で起業。若い音楽家に当時の自分を重ね合わせ、彼らの夢を未来につなぐべく奮闘している。
基本情報
役職:代表取締役
出生年:1962年
血液型:A型
出身地:兵庫県神戸市
出身高校:兵庫県立神戸高校
出身大学:関西学院大学経済学部
所属団体、肩書き等
  • 公益財団法人日本センチュリー交響楽団理事
  • 株式会社東京MDEデジタル事業戦略コーディネーター
  • 大阪マルチメディア放送番組審議委員
  • 豊中市南部活性化協議会イベントプロジェクト事務局長
  • ピアニスト松浦愛美ファンクラブ事務局長
座右の銘
  • 舞台は自ら創る
プライベート
ニックネーム:こうちゃん
趣味:街歩き、演劇、ミュージカル鑑賞
特技:カラオケ
尊敬する人:吉田茂
年間読書数:20冊~30冊
心に残った本:細雪(谷崎潤一郎著)
心に残った映画:ブリッジ・オブ・スパイ
好きなスポーツ:野球(タイガースファン)
好きな食べ物:ハーゲンダッツのアイスクリーム、ナポリタン
嫌いな食べ物:なす
行きつけのお店:秘密
訪れた国:10ケ国
大切な習慣:妻に「おはよう」と言う
口癖は?:なるほど!
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